生き方を問うてしまう日
心をなくし、やらるねばならないことが山積みのようになっている気がする今日この頃。。
毎日に埋もれて月日だけが過ぎていく。
つい最近も、
「明日が来ること」が嫌だった私だ、、。
当たり前のように明日が来ることが、どれだけありがたいことなのか、、。
石巻に行ったときに目にした言葉。
「明日が来ることは奇跡に等しい」
この言葉に出会ったとき、
ああ、、、、本当にそうだった・・・・
と、胸にずうぅうんと重石を乗せられたような
気持ちになった。
そんなことを思い出したのは、この記事が目に留まったからだ。
気付くと今日は
心友のお父さんの祥月命日だ。
人と人、
家族、恋人、友人、知人、職場の人たち・・
いずれ必ず別れは来るけど
それはもしかしたら明日かもしれないってことでもあるってことなのだ・・
身を持って体験した高校生が、辛さを抱えながらも発信している、勇気と覚悟。
それに比べて
本当に自分が恥ずかしくなる!!
いつになっても
自分を生きている気がしないのは
届くはずもない完璧な自分に
縛られているからだろう・・・
有り難いこともある
泣きたくなる日もある
その都度、救われながら生きている
生かされていると言ったほうが正確だ
今日11日は特に、
自分の生き方を、問うてしまう